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May 28, 1999

日本フィル第510回定期演奏会

 これは手堅いプログラムだ。最初僕はそう思った。大好きな曲が並んでいるし。ジャン・フルネさんは東京都交響楽団と伝説的なドビュッシー演奏をしているし。しかし残念ながら今夜の演奏からはまったくといってイイほど、僕は音楽の喜びを受け取ることができなかった。フランクからもういけなかった。こんな曲だっけ? と思うほど、退屈で退屈でたまらなかった。

 後半最初のラヴェルは今夜唯一、僕にとって満足できる水準の演奏だった。ソリストの梯 剛之さんは1977年生まれというから、まだ23歳の若いピアニストだが、小児癌のため生後1ヶ月で光を失った。そこからどうやってピアニストになったのだろう。ものすごい努力が必要だと思う。楽譜を知っても弾けないのに、その楽譜が見えない彼。だからこそ、音に鋭くなれたのだろうなどというありきたりな推論をする気はない。彼の音に言及しよう。彼の音楽は優しい。ラヴェルのスケルトン仕様のようなオーケストレーションを、彼のピアノの決して硬質でない音色がふんわりとまとめていたように思う。彼のピアノの美感が最も現れたのは、やはり2楽章のAddagio Assaiだった。僕は数ある素晴らしい旋律の中で、この旋律が多分、今一番好きだ。そして梯さんの演奏もこの曲のリリカルな面とよく合っていたと思う。しかしこの感想には僕のセンチメンタルな感情が入らないかというと嘘になる。今夜の演奏についてこれ以上書くことは僕にはできそうにない。ラヴェルの曲についてはまた別のところで僕の特別な思いを書いてみようと思う。

 最後のドビュッシーは、そう、ただのドビュッシーだった。熱くもなく、色彩的でもない。何の喜びも与えてくれない演奏。これはなんですか? ドビュッシーの「海」です。 ただそれだけの演奏。聞き手の気持ちに寄りそうだけがプロフェッショナルの仕事ではないことは僕も知っている。でも聞き手がいるから、演奏会が成立するのではないか? 演奏者と聞き手との間に、熱や感情の交流がない演奏会なんて、少なくとも今の僕は必要としていない。
 僕はサントリーでは「P席」というバックヤード側の席をいつも取る。指揮者の動き、表情とそれに呼応するオーケストラが見たいからだが、この席のもうひとつかけがえの無い魅力は「近さ」なのだ。だが今夜の演奏を聞いているうちに、フルネと日本フィルが乗ったステージがどんどん小さく、どんどん遠くなっていくように感じた。不思議な感覚。僕はもう聴衆の一人ではなく、ただの傍観者だった。
 聴きなれた金管の和声がティンパニの一撃で切り落とされるように「海」が終わる。そして僕はそう、宇多田ヒカルちゃんではないが、Automaticに席を立った。

●演奏曲目
 フランク:交響曲 ニ短調
 ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
 ドビュッシー:「海」 3つの交響的スケッチ

●演奏
 ジャン・フルネ(指揮)
 梯 剛之(ピアノ)

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