« 懐かしい日本の歌、新しい歌 | Main | 日本フィル第520回定期演奏会 »

November 25, 1999

木村かをり連続リサイタル第⑤夜

知人に誘われて行ったこのコンサート。僕の最近の記憶の中では最高にスリリングで最高にファンタスティックなものとなった。本当に久々に音楽の至福を味わうことができた。演奏者の木村かをりさんには感謝したいと思う。

場所は紀尾井ホール。このホールは好きだ。そのこじんまりとした感覚。凝縮感が好きなのだ。そして、今日の演奏会は稀に見る凝縮感を感じさせてくれた。このコンサートは木村かをりさんが演奏者としてフィーチャーされているが、湯浅譲二さんのプロデュースが背後に流れている。「湯浅譲二の観たもの」~彼の視点がそれである。

木村かをりさんは、パリ国立音楽院を主席で卒業し、メシアンのスペシャリストとして知られるピアニストである。何度か実演に接したことがあるが、硬質で冷たい、涼しげな音として僕は記憶している。夫君は指揮者のマエストロ、岩城宏之さんである。僕がよく足を運ぶ「スペース桐里」のコンサートでは、実は東京藝術大学で打楽器専攻だった岩城さんのマリンバと、木村かをりさんのピアノで、バルトークを聴くなどという夢のように楽しい時間を共有させてもらったこともある。湯浅譲二さんは僕にとって、名前だけの人。その名前はよく知っていたものの実際に作品に接したことは今まで一度もなかった。

そして、今日2人のコラボレーションを体験し、僕は木村さんはもとより、湯浅さんの作品の大ファンになった。特に後半に演奏された「内触覚的宇宙II」は僕に大きなインパクトを与えてくれた。ライナーノートにもあるとおり、ピアノという楽器の特性を、その巨大なリゾネーター(共鳴体)と捉えたところにこの作品最大の面白さがある。つまり、ピアノという楽器から完成された音楽が流れ出てくるのを聴くのではなく、ピアノという共鳴体の中で、さまざまな音がぶつかり合い、はじけ合い、そして響き合う様、そのものを聴くという趣向だ。そして、その趣向はとても面白く、美しい響きを聴衆にもたらしていた。リゾネーターの中に取り残された音は、ペダルによってコントロールされながら、残響として長い生命を持つことになるのだ。その様は実に感動的とも思えた。

スターターのベラ・バルトークをはじめ、演奏された各楽曲はそれぞれ木村さんのテクニックによって、余すことなくその魅力を伝えてくれたと思う。湯浅譲二の視点としては、バルトークの「ミクロコスモス」をバッハの平均律クラヴィーアに重ね合わせて、その教育的な意味を浮き彫りにするなど、なかなか独自かつ興味深いものだった。僕は長い自分の不明を恥じるとともに、彼の作品を片っ端から聴いてやろうという意欲を喚起された次第。

最後にこのようなすばらしい演奏会が聴ける東京という街の豊かさを実感するとともに、今夜紀尾井ホールには約100人ほどの聴衆しかいなかったという、一方で悲しい事実を合わせて記しておきたい。

●演奏曲目
 ベーラ・バルトーク:ミクロコスモス第6巻よりブルガリアンリズムによる6つの舞曲
 湯浅譲二:スリースコア・セット
 アンドレ・ジョリヴェ:マナ~ピアノのための
 湯浅譲二:内触覚的宇宙II ~トランスフィギュレーション~(1986)
 湯浅譲二:「夜半日頭」に向かいて~世阿弥讃~ピアノとコンピュータのための(1984)

●演奏
 木村かをり(ピアノ)

|

« 懐かしい日本の歌、新しい歌 | Main | 日本フィル第520回定期演奏会 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71476/2908663

Listed below are links to weblogs that reference 木村かをり連続リサイタル第⑤夜:

« 懐かしい日本の歌、新しい歌 | Main | 日本フィル第520回定期演奏会 »