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February 16, 2005

壊れた壷 ~追憶の里山~

satoyama 結局、NHKで放送されていた「satoyama」をDVDで購入した。先日観たデヴィッド・アッテンボロー版は日本版のナレーション英語吹き替えだったみたい。日本版では加藤登紀子さんがナレーションを担当。改めて里山~人と自然がともに生きる [DVD]を自宅で観た。この作品は、琵琶湖畔の「里山」の四季を素晴らしいカメラワークで追いかけた映像詩。「里山」とは手付かずの自然をたくさん持つ集落のことで、昭和40年代くらいまで、都市部を除く日本の集落はだいたい「里山」だった。僕も横浜市緑区で育ったが「里山」だったと思う。(笑)田んぼもたくさんあり、そこにはオタマジャクシが泳ぎ、水溜りにはカエルの卵が揺らぎ、夏には木々にカブトムシがとまっている。道にはオニヤンマが飛び交い、紫陽花の葉の上には緑のアマガエル。(書いてて涙が出そう)僕の自宅から東名高速道路までは、まさに「里山」の散歩道だった。この映像詩で紹介されている琵琶湖畔の「里山」では、棚田の水入れからの1年を丁寧に描いていく。琵琶湖から田んぼに産卵に来るナマズ。その様子を描くカメラは、すぐ横で渋滞する自動車の列を映し出す。そう、これが「里山」の風景なのだ。
 いつからかそう思うようになったのだけれど世界中のあらゆる民族のうち、日本人は最も自然とともにある民族のひとつだ。その民族がこれだけ自然を毀損してしまったら、自らの精神に支障を及ぼすのも当然なのではないだろうか。以前、昆虫学者でありフランス文学者の奥本大三郎さんにインタビューをしたことがある。奥本先生も自然との関係の再構築を随分と説いていた。また「金のかからない休暇」が大事だと。(もっとたくさんの素晴らしいお話を聞いた。それはまたの機会に)「里山」での休暇はきっとお金がかからないものだろう。どうしたら「里山」が守れるのだろう。遠く東京の都心でそれを思うのは、やはりズルイことなのだろうか。奥本さんに壊れた壺 (集英社文庫)という著作がある。里山はひとつの「壊れた壷」かも知れない。その美しさや尊さは脳裏にあるけれど、もはやそれは砕け散ってしまった。僕たちは美しい記憶を頼りにその破片を拾い集めることしかできない。
 僕をはじめ、昭和40年代に幼少期を生きた人たちで、一度この「里山」を観ていろいろ語りたいな、と思う。麻布十番のご近所会でイベントを計画しようかな。みんなどう反応するかな。

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