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May 03, 2005

敬語

machibanogendaishisou GWにしたかったこと。掃除。読書。ということで、本を読みまくっている。その中でふと先日このウェブログに書いたことと関連する書籍があったので、備忘録も兼ねて考えをまとめておこうと思う。またもや話はこれ『新日本紀行ふたたび』なのだが、第一回の放送を観て32年前の日本人には「無垢さ」があった、と書いた。テレビクルーのインタビューに対して「率直に、正直に、自分の言葉で話す」無垢さ。それに僕は結構驚かされたのだ。21世紀の日本にこのような無垢さを見つけることは至難だ。どうしてあの時代の日本人はあれほど無垢だったのだろう。そんなことをずっと考えていた。そこで出会ったのが街場の現代思想の中の一文「敬語について」である。
 「敬語」とは何だろうか。内田樹は「何故敬語を使わなくてはならないのでしょうか」という若者からの架空の問いに答えていく。彼は説く。「敬」とは「身を捩って避ける様」が原義であり、触れてはならぬもの、避けるべきものと関係を結ぶ際の技術作法である、と。『論語』に言う「鬼神は敬してこれを避く」が端的にその意を表している、と。年輪を経た大人とは、社会的弱者である若者や子供には手に負えない力のある存在であり、直接触れてはならぬものなのだ。だからこそ「敬語」を使って自分の本心や人格を直接相手に交わらせないことが重要なのだ。だから「敬語」が必要だという論旨である。また彼は僕も大好きな『陰陽師』(岡野玲子/白泉社)第一巻で、安倍清明が鬼に対して本名を名乗らず呪を避けるエピソードを引いて、鬼神に対して本音を伝えない重要性を説いている。
 僕は『街場の現代思想』のこの章を読んで「ハッ」と気付かされたのだ。『新日本紀行ふたたび』の第一回放送で観た32年前の無垢な日本人。彼らはまだマスメディアを怖いものと思っていなかったのだ。だからテレビのインタビューに本心をその人となりまでを晒してしまったのだ。マスメディアは、人々を傷つけ葬り去ることすら可能な力を持つ現代の鬼神であり、羅生門のようなものだ。ウェブログのようなパーソナルメディアですら、結構な力を持つ。30年以上の年月を経て、僕たちはその力と怖さを思い知っているのだろう。だから、誰もがマスメディアに自分の真の姿を晒さない。本心を明かさない。だからこそ今マスメディアは巨大な虚構になりつつあるのだろう。そして人々はその空虚をパーソナルメディアで埋めようとしているのかもしれない。その先に何が待っているか、今の僕にはわからない。でも、32年前の日本人の無垢さは形を変えてどこかに保存されているような気がする。それに少し救われた僕だ。

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