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July 19, 2009

環境と共生するということ。

僕が客員研究員を務める某教育団体のイベントに出席。
両国国技館を満員にする大規模なものだ。
その中で、地球という私たちにとって唯一無二の存在を愛し、敬い、
きちんと保護していくという倫理観の打ち出しが改めて為され、
そうした行動を起している団体への表彰があった。

ひとつは内モンゴルでの植林事業。
砂漠化は人為的努力である程度止められる。
そうした活動を日中協力のもとに行っている事例。
僕も近い将来、参加してみたいと思っている。
広大無辺な砂漠が、
大げさに言えばフランス式の庭園に変わったような、
それくらいのインパクトのある森が誕生している。
継続的な努力の尊さを痛感する。

さらにもう一つの事例。
兵庫県の小学生の問題意識から立ち上がったNPO、
日本熊森協会
ある日、野生の熊が人里に現れ、射殺された。
「あー、怖い」で終わる人が多いのかもしれない。
しかしある小学生は
「なぜ熊は人里に現れ、殺されたのか」を考えたのだろう。
熊は人里に来たかったわけではない。
熊は森に餌がなかったがゆえに、人里に彷徨い出でたのだ。
森に餌がないのはなぜか?
それは高度経済成長の陰で、
供給効率の高い針葉樹ばかりを植林したから。
広葉樹とその落葉による養分、また日照による下草と
それらが育む、昆虫や小動物などが激減してしまったからである。
日本熊森協会はあるべき森の姿を回復するために
活動しているのだろう。
真に頭が下がる思いがする。

しかし、その一方で人里に下りた熊を放置できないと考える自分がいる。
昔ながらの熊の森が回復されることはよいことだと思う。
自然の中に人間が取り込まれるべきという主張もよいと思う。
だがしかし、ずっと昔から僕には
人間は自然とは違うという直観がある。
素直に自分たちを大自然の産物と呼べない直観がある。
もしも人間が大自然の摂理に完全に包含された存在ならば、
飢えた熊に襲われその食となってしまうことをも
我々は認めなければならないのではないか。
そんなことを思ってしまう。

熊の森を守る人も、
もし知人が熊の生を永らえるために死するとしたら、
仕方ないことだと思えるのだろうか?
同じような気持ちを多くの「エコ活動」に感じる僕は
単なる捻くれ者なのだろうか。

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