July 02, 2009

LIVE 1969

今年はサイモン&ガーファンクルが来日するらしい。
それでCDも増えているのか。
以前LPレコードで聞いていた音源が欲しくて、
アマゾンをチェックしていたら、
このライブの音がいいというレビューが。
じゃあ、聴いてみよっかな、という程度で手を出してみた。

リマスタリングの音はいいのかも。
でもギタープレイの出来がもうひとつか。
全盛期のハーモニーが聴ける、というのもあったけど、
うーん、まあ、こんなもんかな。
ライブらしくMCで彼らの人となりが少し伝わってくるのは収穫。
でも結局、スタジオ録音のベスト盤を追加購入しちゃった。

しかし70年代ですら、かなりフケ顔だったこの二人。
2009年には音楽的にも気になるけど、
ヴィジュアル的にどうなのだろう?
どなたか武道館に行く人、レポートしてください。(笑)

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May 06, 2009

忌野清志郎、死去。

静かな連休を終えた。
新型インフルエンザと清志郎の死去。
そんな静かな休日だった。

RCサクセションについて、僕はあまりよく知らない。
本当に超有名曲を数曲知っているくらい。
坂本龍一とのコラボは記憶に残っている。
だから、死去に際して映像で見た、彼のライブには
少なからず驚かされた。
こんなにもメッセージの強いアーティストだったのか。
こんなにもロックな人だったのか。

中学生の頃、
ディープパープルやエアロスミスのコピーバンドをやっていた。
まあ、70年代後半の中学生はそんなもんだった。
ビートルズやストーンズも聴いていた。
一方で、所謂フォークソングが反戦歌だったのも知っていた。
ボストンやYMOにも強く惹かれていた。
今でも忘れないことがある。
当時の担当教諭から「文化祭でロックは禁止」と言われたことだ。
今の若者が聞いたら訳分からないだろうな。
フォークはいいけど、ロックはダメ。
ロックはその当時の社会ではまだ劇薬だったのだ。
反社会的なメッセージ、毒を含んだ音楽がロックだったのだ。
今の日本でロックは反社会的なものとはとても言えないだろう。
そもそも生き残っているのか。

清志郎が死んで、日本のロックスターの巨星が墜ちた。
もう危ないロックはないのかも知れない。
願わくば、ミック・ジャガーのような日本人が生まれて欲しかった。
よく聴かなかった人なのに、すごく残念に思っている。

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April 12, 2009

昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦


面白がっている人が多いので何の気無しに購入してみた。
某所での桜パーティを終えて帰宅した深夜になって
なぜかこのDVDをプレイヤーのパレットに乗せた。
パロディに特有の諧謔、安っぽさに少々抵抗感を覚えつつ、
しかしこの希代のエンターテイナーに徐々に引き込まれて行く。
いや正確に言えば、引き込まれるのにそれほど時間を要していない。
「サントワマミー」から始まる歌合戦の、ほんの端緒に過ぎない、
「五番街のマリー」を聴きながら、実は滂沱と落涙する自分がいた。
大衆歌とは真に時代を映しているのだと思った。
その時代の希望、絶望、怒り、喜び、そして質感が
間違いなく封じ込められているのだと思った。
つまり、茂木健一郎謂う所のクオリアが。
実際にはそれらの大衆歌は、個別のアーティストによって表現された。
その結果、時代のクオリアはアーティストの個性の影響を受けて複雑化する。
このDVDは、桑田圭祐というヴォーカリストを通じて
日本の大衆の心情がどう推移してきたかを観る者に伝えずに置かない。
複雑な連立方程式のアーティストという変数を定数とするだけで、
ここまで時代のクオリアが浮き立ってくるとは本当に驚きだった。
そして今年45歳を迎えるこの僕が、
こんなにも時代のクオリアに浸食されていたことに、本当に驚いたのだ。

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September 30, 2008

2:00 AM Paradise Cafe

Paradicecafeオフィスで仕事中。
9月最後の日。
明日からは10月だ。
秋の音楽。
今日はこんな音を。
バリー・マニロウ。
なんて甘い歌。
安っぽいムード音楽にも聴こえる。
でもこれが結構いいんだなあ。
ピアノのイントロの後、
バリトンサックスが唸りながら奏でる旋律。
コントラバスが効いている。
コパカバーナとは違うしっとりとした歌。
サラ・ヴォーンの味のある歌唱が横から支える。
いい。
なんともいい。
ライブ録音であるのもいい。
なんつうか、大人だねー、このアルバムも。
少し寒くなった夜、こんな音を聴きながら、
仕事するものちょっとした幸せです。僕にとって。

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September 29, 2007

マーラー交響曲第9番について vol.1

Mahler9_2夕食中、妻に電話。
話しながら涙を見せる妻。
何事だろう?
近親者の死であった。
それも突然の。
享年49歳。

人は死ぬものです。
しかし、その一つ一つはどうしようもなく悲しいものです。
その一方で、死は救いでもあります。
母なる自然に還り、無となれるからです。
死を一歩引いて感じることができるのは、人間だからでしょうか。
動物は死を個体の死としてしか捉えられないのではないか、
と僕は推測します。
しかし、僕たち人間は、死をもっと広く捉え直すことができます。
そんな能力をなぜ僕たちは持っているのでしょう。
無意識に刻まれているから? 神が与えたから? それとも?

死者の冥福を祈りながらも、死を受け入れるとき。
そんなとき、僕の頭の中にはいつも、
マーラーの交響曲第9番の終楽章が聞こえるのです。
その演奏は決まって、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、
シカゴ交響楽団
のイメージを伴うのです。

ゆったりと、大きく、流れゆく音楽。
個から全体。家から街、地図から地球。
星図から宇宙へとどんどん引いて行くような、
そんな気にさせる演奏は、ジュリーニ&シカゴ響以外にありません。

ブーレーズの純音楽的アプローチはこの曲に関しては
好きになれず、また彼のアゴーギグは僕には速すぎます。
シノーポリの演奏は、朗々とし過ぎ、
逆にバーンスタインとアムステルダムコンセルトヘボウ響盤は
重く、荒く、劇的すぎて、個の人生を説いて聞かされるような、
少し押し付けがましい印象を否めません。

晴れた日に、空から人を見るような、そんなジュリーニの演奏が
やはり僕には一番愛すべきマーラーの第9番なのです。

死した人よ、安らかに。とこ永遠に、とこ永遠に。

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August 08, 2007

Music for 18 musicians

18_musicians_2例えば、グラスに入った氷の音。
暑い日に聞くと本当に涼やか。
何となく風鈴が欲しくなる。
古人の知恵はすごいなあ、と
改めて思ったりする。

そんな思いの延長線上にライヒの音楽。
今日聞いているのは、Steve Reich: Music for 18 Musicians、だ。
シロフォンやバイブラフォンの涼やかな音。
繰り返される音型。
スキャットはハミングなどの人の声。
バスクラリネットがまろやかな低音で支える。

ライヒの音楽は不思議な感覚を僕に伝えてくれる。
それは喩えれば、無機物の声。
鉄やその他の金属やガラスやプラスティックなど、
普段声を出したり主張したりしない、おとなしい者たち。
彼らが声を発したとしたら、歌を歌ったとしたら、
それはきっとライヒの音楽のようなものなのではないか、と思う。
分子の振動や、陽子や中性子の運動をイメージさせる音。

セクエンツァに次ぐセクエンツァが何故か心地よい。
そこに無機物の歌が聞こえるから。

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May 24, 2007

PROGBAR

前職の先輩たちに連れられて銀座。
こんなお店があったのね、と吃驚なのは
プログレ中心にかけているロックバー、
その名もPROGBAR。
ものすごくコアな感じ。
銀座とは思えない。
そして2007年とは思えない。
すごいお店で、何年ぶりだろうのELPを堪能。(笑)

●PROGBAR
ウェブありました。

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April 28, 2007

Mozart Requiem

パリでは必ず“Pariscope”を購入し、コンサートをチェックする。
今回はSalle PleyelでのL'Orchestre de Parisのコンサートは
スケジュールとうまくフィットせずに断念。
代わりにElise de Madeleineでモーツァルトのレクイエムを聴く。
演奏者については詳しく知らないが、
おそらく国内(或は市内)のアマチュア或はセミプロと思う。
滞在中に同じ場所違うオーケストラでヴィヴァルディなどの
バロックコンサートもあったのだが、
荘厳な聖堂での演奏はレクイエムの方が雰囲気だろう。

曲はシューベルトのアヴェマリア、
ドヴォルザークのスターバトマーテル、
そしてモーツァルトのレクイエムである。
教会特有の残響が最初聴きにくかったのだが、
途中から聴き方が分かって来た。
コンサートホールのように聴き取ろうとしないで感じればよいのだ。
宗教における音楽の役割とはこうしたものだったのだろう。
その刹那、音楽についての新しい直感が僕に訪れた。
指揮者は司祭で、演奏者は巫女なのだ。
教会音楽に顕著であるが、音楽とはやはり祭礼なのだな、と。
無意識から何かを取り出してくる或はそれを促すのが音楽の役割。
そのための舞台装置として考案されたのが
こうした場所だったのだろう。
演奏の巧拙ではなく、今宵の演奏はそうした意味で成功していた。
早いテンポで進むレクイエム。
ラクリモーサは思い入れたっぷりの演奏で感動的だった。
R0010288

●演奏曲目
   Ave Maria (Schubert)
   Stabat Mater (Dvorak)
   Requiem (Mozart)

●演奏者
   Choral Amadeus et l'orchestre Jean-Lous Petit

●会場
   Eglise de la Madeleine

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February 04, 2007

Reckless Precision

Tuckandres久々に大ヒットCD発掘。
南麻布はSatoriでかかっていたCD。
Pat Metheny大好きの僕としては聞かねばなるまい。
ギター好きの店主藤沢さんとの会話。

「このCD何?」
「タック・アンドレスですよ」
「ふーん。いいね〜。」
「手に入りにくいようですよ」

後日アマゾンで検索。
意外にも簡単に入手できた。
このギタリストについて僕はほとんど知らないが、
Gibsonのフルアコで奏でるナンバーは凄い。
ギター1本でよくぞここまで、の演奏。
1曲目のM.Jackson“Man in the Mirror”から凄い掴み。
独奏だから適切な表現ではないかとも思うが、
グルーブ感、スイング感が秀逸だ。

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December 17, 2006

B000002iuo01_aa240_sclzzzzzzz_来年は厄年を脱する予定の僕。この歳になってようやく何となく「大人」のことが分かるようになってきた気がする。そんな僕は、最近のビートルズ人気の復活には正直なところ少し困惑する。ポール・マッカートニーがHelter Skelterを歌う“DVD”を観るのも何だか複雑だ。カリスマが親戚のおじさんになってしまったような少し寂しい気持ちがする。先日来日したエリック・クラプトンも三味線を弾くようにギターを弾いていたと言う。もはや伝統芸能を披露するように。ロックはいつまでもロックで居られないのか。年月はロックをクラシック或いはポピュラーにする。仮にアーティストの生き様はロックだとしても。

そんな僕の心に今迫るのは、実は以前あまり好きではなかったミック・ジャガー。ここ数ヶ月、ヘビーローテーションで聴いている。何と言うか、難しい話になるのを覚悟して言えば、ミックは粋だと思うのだ。

粋とは何だろう。破天荒さ、偏狭さ、頑さ、伊達、酔狂。そんな言葉をぶらすことなくひとつの世界に囲い込むことができること。ぶれない人。バラバラに見える多くの興味を持ちながら、結局ひとつのことを追い求めている人。今42歳の僕が粋な人を表現しようとすると、こんなところだろうか。いろいろやってみること。でも結局ぶれていないこと。子供の頃好きだったことをそのままやっているだけ。それを経験と見識で支えながら。そんな粋な大人に僕もなりたい。

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