September 12, 2009

日本百名道

仕事が忙しくて、癒しが欲しい今日この頃。
何がしたいかって、どこかにドライブしたい。
ちょっと遠い、知らない道を走ったりしたい。
実現はまだ先かもしれないけど、そんな気持ちに押されて、
『日本百名道』なる本を買ってみた。

一般的には「道路づくり=税金の無駄遣い=悪」という
図式が定着しているけれど、
こうして見ると日本にも素敵な道があるのだね。
世界に誇れるような美しい道を作ることは悪いことではないし、
問題なのは地域経済の活性化の名のもとに、
単にお金をばらまくことなのだろう。

何を為すにしても、見識や美意識が問われる時代に
なってきたことを僕は歓迎したいと思う。
自民党がなぜ終焉したのか、と問われれば、
戦後の発展を可能にしてきた、ひとつの見識、
美意識が喪失されたからだろう。
そしてそれは喪失されて実に久しいのだ。
古賀誠の選挙戦における演説などを聴いていると、
道路を作ることが正しいことだった時代の見識が
残照のようにうす暗く光っている気がした。
なんだちゃんと理念があったんじゃないか。
なぜそれをきちんと国民に示して理解を求めなかったのか。

キチンと説明したとしても今は受け入れられないだろう。
しかし、それが正しい時代もあったのだ。
国民はそれも分かっているだろう。
これからの日本には違う見識が求められているのに、
自民党はついに提示できなかった。
或いは長い間提示をサボタージュしてきた。
だから終焉を迎えたのだ。
民主党は新しい見識と美意識を提示しなければ、
こちらもやはり国民を失望させることになる。
おっと、話がずれまくり。(笑)

きれいな道を気持ちよく走りたい。
でも、この本を見ながら、妻に
「この道を走りたい」と言ったら、
「どうぞ走ってきたら」と言われた。coldsweats02
じゃあ、一人旅にでも出てみようかな。

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June 29, 2009

納棺夫日記

話題の書籍である。
映画も音楽もよいが、まずは
やはりこちらに触れるべきと思う。
宮沢賢治、親鸞、金子みすず。
死を見つめ、死を洞察した人は多い。
それを改めて読むことで僕は何を掴めるだろう。

実は今、日本人の死生観を調査する、
という壮大なプロジェクトに挑戦中。
内田樹氏の『死と身体』『他者と死者』や
キューブラー・ロス女史の『死ぬ瞬間』を再読している。
しかしこれらの書物よりも、
市井における死への眼差しは
『納棺夫日記』に色濃い。
そしてその眼差しは優しく、透明である。

人は死んだらどうなるの?
人はどこから来て、どこに行くの?

小学生の頃にそんなことを言っていたら、
「つまらんことを考えるな」と父に言われた。(笑)
でも結局、そんなことばっかり考える大人になった。
実際、変な調査してるし。

そんな『納棺夫日記』を先日研修で訪れた
軽井沢の施設に置いてきてしまった。
文庫本をなくすことなんて、あまりないのに。
記憶の衰えとともに、なぜこんな本を亡くしたのか、
それが少し気になっている。

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April 06, 2009

ネコ型社員の時代


僕の会社で顧問をして頂いている、
人材開発コンサルタントの山本直人さんと会食。
taachiで食べ、飲み、語った。
マーケティングや広告やメディアはどうなっていくのか。
話題はそんな感じ。
その山本さんから新刊をプレゼントされたのだが、
これが実に面白いので紹介したい。
会社員の概念が変わる。
僕も経営者のハシクレだけど、会社経営はどうしても社員を
教育して管理して行く、という志向を持ちがち。
社員にも成長を求めるのが当たり前である。
でもネコ型社員が増えているとしたらどうだろう?
確かに最近の20代は大志よりは小さな目標、
尊敬する人は「一コ上のセンパイ」
アクセクしないで遊び好きな人が多いように思う。
なるほど、それがネコ型か。

ネコの性格を明らかにするには世の中にある「○○犬」を
「○○猫」に替えてみるといい、という下りは最高。

 警察猫
 救助猫
 麻薬猫
 忠猫
 名猫  などなど。

どれも文字面を見ただけで、クスッと笑いが漏れてしまう。
ベンチャーマインドみたいなものもネコ型だろうし、
ネコ型主導で景気回復、なんていうシナリオもアリかな。
社会がネコ化している、といわれれば、
確かにそんな気もする。

アタマを切り替えるには良い本です。
推薦。

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March 02, 2009

猫である。 BRUTUS 2009/3/15号

猫特集。
町田康、養老孟司などのエッセイあり。
ヘミングウェイ、大佛次郎、吉本隆明、バロウズ等の猫好きあり。
なかなか良い特集です。(笑)

猫はいい。
猫は可愛い。

猫は人を個として扱う。
猫の前では人は個としての矜持が試される。

猫が好きだなあ、僕は。

テレビに寄り添うヨッシーの図。↓
Img_0378

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January 15, 2009

週刊 天体模型 太陽系をつくる

Taiyoukei正直、激しく惹かれる。
やろっかな。

でも創刊号¥790、
以後¥1,790で全52刊。
ということは、総額¥92,080也!
どうしよう?

でも改めて見てみると、
デアゴスティーニのシリーズっていいね。

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January 04, 2009

あさきゆめみし

Asakiyumemishi_3この年末年始は、すっかり風邪っぴき。
26日の仕事納めの後、忘年会をして
その夜から発熱。
結局治らず何とか活動開始したのは30日。
そんなこんなで年賀状は間に合わないわ、
古川橋病院のお世話になるわ、
病院に行っている間に、強羅花壇はブック仕損なうわ、
あげくの果てに妻に風邪を移したのが一番高くついた。(泣)

でも収穫は寝込みながら読んだ「あさきゆめみし」かな。
漫画版の素晴らしさも痛感。
大和和紀の繊細な描写は特筆できる。
しかし登場人物の描き分けはかなりの難易度で、
後から読み返さないと誰が誰だか分からない。(笑)

紅白歌合戦を観ながら、2008年のキーワードを
「ここにいるよ」だと考えた訳だけれど、
平安時代のコミュニケーション環境であれば、
絶対にこのような、関係性に依存するアイデンティティ形成、
などということは起こらなかったと思った。
何しろ、顔も見たことのない人を恋い焦がれるのだから。
そこには恋以外の関係性が存在しないのだ。

それを可能にするのは個の修練だったのだろう。
多くの修養や勉学や修練を経て、人格を形成して行く。
その確立された人格が恋をする。
恋のコミュニケーションも実に豊かである。
どうでもいいことをメールし合うことで成立する現代の関係性とは違う。
婉曲極まりない言葉による表現。
しかしそれを補うのは、香であり、文であり、書であり、箱である。
なんと繊細なコミュニケーションだろうか。

その繊細さは日本人のDNAに深く刻まれているのだろう。
日本はこの感受性を誰に理解されずとも大切にしていくべきだと思う。
寝正月にそんなことを思わせる「源氏物語」でした。

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August 02, 2008

陰影礼賛

Inei_raisan突然の出張で長野に向かう。
車中で読む本をデスクの上に探す。
ふと手にしたのは、何年ぶりだろうか。
谷崎潤一郎の陰影礼賛だった。
深く考えず、それを鞄に突っ込んで
東京駅までのタクシーに飛び乗る。
何しろ、今日の11時までに長野駅に着かねばならない。

暗く憂いを帯びた陰。
その陰にこそ、日本人の美的感覚が宿る。
谷崎が喝破した日本の美。
それは明るい電灯ではなく、
揺らめく蠟燭の火を友とする、そんな美しさだった。
西欧文化に屈服し、それに対応しようとする日本。
日本の感受性は日本固有の生活文化と切り離すことはできない。
しかし生活文化そのものが失われ、変質している中で、
日本の感受性はどこに向かうのだろうか。

東京の都市生活も西欧化の一例と言ってよいだろう。
その意味で、僕らは日本人でありながら、西欧化している。
コスモポリタンという言葉を
いつしか憧れの対象として捉えていたのかもしれない。
東京から長野に向かう新幹線の中で、
西欧と日本の関係を、東京と地方の関係として考えていた。

東京にあるものが地方には無い。
だが、東京に無いものが、地方にはある。

暗く、人も少なく、活気もないかもしれない。
しかしそこには漆黒の闇がある。
豊穣の源は闇である。
闇は都会ではなく、失われ、取り残された日本にこそあるのだろう。
であれば次の豊穣を生み出すのは、取り残された日本なのだと思う。
今日、僕は闇に会いに行くのだ。

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July 04, 2008

earth

Earth那須で籠りつつ、熱出しつつ鑑賞。
やはりよいドキュメンタリーだ。
先日Ferrariを通じて人間を称揚したのだが、
やはりこうした現実には対処しなくてはとも思う。
人間の愚かさに起因する悲劇を、
今象徴的に表しているのはポーラーベア。

自らの足下がすべて氷から水に変わる。
その恐怖や絶望感は如何ばかりか。
2030年にはこの種の絶滅が予見されている。

閉鎖系の経済圏の永遠の発展を目指して来た人間。
インダス文明も、古代バビロニアも、シュメールもアッカドも、
エジプトも、大航海時代の西欧列強も。
ササン朝ペルシアも、オスマントルコも、大日本帝国も。
ローマ帝国もそして、アメリカ帝国も。
いずれも無垢に繁栄を追求して来たのだ。
永遠の時と舞台が用意されているかのように。
しかし、当然ながら地球は開放系ではなかった。
閉鎖された、限界のある存在だったのだ。
閉鎖系であることが分かった以上、
それに相応しいやり方を選ぶ必要があるのは当然である。
1972年にローマクラブは『成長の限界』でそれを提示した。
そして36年。
限界を持つ地球と言う系の循環を如何に再現できるだろうか。
洞爺湖サミットが化石燃料争奪の前哨戦に終わらないことを願っている。

閉鎖系の循環システム不全を回復させるには、
東洋医学的なポリシーが必要と思う。
その意味で環境問題は東アジアや漢字文化圏の諸国が牽引すべきと思う。
しかし、漢方治療には時間がかかる。
今、ホッキョクグマを救うのであれば、それは対症療法であり、
西洋医学の科学的アプローチであろう。

僕は自動車を愛する。
それを楽しみたい。
しかし環境をオーバーシュートはさせたくない。

これは個人だけでなく、国家単位でも同じだと思う。
やはり税などの経済的な方法で限定を掛けることに成るのだろうか。

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December 04, 2007

フェラーリと鉄瓶

Tetsubinカーデザイナーの奥山清行氏の著作。
随分以前に読んだのだが、
平易な日本語で書かれて面白い。
その道の達人の言葉は
なぜかシンプルで重い。
イタリア社会への洞察はなるほどと思わせる。
ステロタイプのイメージの裏に潜む諦め。
しかし日本も確実にそこに向かいつつある。
デザインの力と同時に
世界の中の日本を考えさせる意味でよい本。

イタリア人が「愛し」「歌い」「食べ」、
人生を楽しむことを大事にするその裏側には
どうしようもない社会構造に起因する「諦め」があるということ。
無垢な希望が成立しないからこその毎日の尊重。
そう考えると少し切ない気持ちになる。
イタリアのカンツォーネとポルトガルのファド。
この2つに精神的な共通項を見いだしてしまったような。

もうひとつ面白かったのは、「自分」を持つということ。
「自分」があって初めて世界と向き合えるということ。
高級を知らないから高級車が作れないのではなく、
高級とはこんなものであるべきだ、という主張を行える、
確固とした自分がないから、高級にならないのだ、ということ。
便利とか快適とかのレベルを極限まで上げて行くことでは
実は高級に辿り着かないのだ。
そこが日本の車作りの弱点だと指摘しているのだろう。
考えさせられることの多い本だ。

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November 23, 2007

黒いマナー

Kuroimanner珍しく妻が買った本。
出張中にパラパラと捲ってみた。
酒井順子の毒は相変わらずです。
『負け犬の遠吠え』もそうですが、
面白い、共感できる、けど、
読後感がなんつうか、悪い。(笑)
しかしそれも大事なことなのだろうな。
何も晴れ晴れとした気持ちになることだけが
求められているわけではないし。
何と言うか、ちょっと大げさだけど
人間というものの業や哀しさを感じます。
ある種の諦めとともに。

自慢のマナーのところが面白かった。
ブログが自我の拡張であることは百も承知。
自分のデジタル化、「あちら側」に自分を残す作業って
自分の痕跡を遺したいという哀しい欲望なのかもしれない。
だとすれば自慢は誰もが避けて通れない業のようなものだろう。
自分のデジタル化は、あちら側への「自分遺産」づくり。
それをたくさんの人が始めているんだね。
面白い世の中だね。
これから、どうなっていくのかな。

中島義道の本でも、『親友交歓』を引いて、
郷里の友人に「威張るな!」と囁かれた
太宰治のエピソードを紹介している。
高橋源一郎も同様のことを書いている。
曰く「書く人」はその時点で既に「書かない人」を傷つけている、と。
ブログ人口は平成18年3月段階で868万人だそうだが、
それでも「書かない人」の方がずっと多い。

大したことではないにせよ、「書く人」はそんなことも知っておいていいのかな。
黒いマナーを読んで改めて思った。

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